←前に戻る
これは「自分の脳腫瘍のMRIを初めて見せられて・・・/脳の一部が石灰化??」の続きです。


今思い出しています。初めて脳外科の先生に診てもらって、
「脳腫瘍あり」の診断を受けた帰りのことを。。。

今思うとあの時に自分は、
ここまでしっかり事実を突きつけられてたのに、それでもまだ他人事みたいな・・・。

とにかく、まだ受け入れられてないって感じで、他人事のように考えていました。




先生から宣告された直後は・・・

アメリカの病院では、加入していた保険が適応される部分もあったので、
その場では支払いはありませんでした。

後ほど病院から保険会社を通じて支払いの依頼が来たり、
それとも保険会社がすべてカバーしましたよ、という領収書が来たりします。

(この時の診察代はすべて保険が適応されていました。)

なので、わたしとかーくんは病院そ早々に後にしました


脳腫瘍と確実に診断される前から、
わたしは車を運転してはいけないと言われていたので、
車の運転はかーくんの仕事です。

とりあえず、車に向かい、とりあえず、家に向かう。そんな感じ。

そうだ。病院で一緒になったエレベーターの中で、
アメリカ人らしきお兄さんたちが私たちに向かって、「日本人?っ」って聞いてきたんだ。

「イエス」と答えると、彼らは「どうして日本人細いの?何を食べてるの??お米?」
なんて、どうでもいいような話をふってきました。

「お米食べてますよ、ははは」みたいな返し。

なぜかその意味もない他愛のない会話が頭に残っています。

なんででしょう?

いろいろな未来(手術?てんかん症状?命の危険?)が一気に見えて、
現実を一気に突きつけられて診察室で本当に怖かったはずなのに、
それと同じくらいの記憶として、
無感情で、抜け殻みたいになったわたしと
通りすがりのアメリカ人のお兄さんとの会話が焼き付いています。

彼らはいきなりわたしとかーくんに話しかけてきました。

普段だったら、「Hi!」とか言って、楽しめるはずのスモールトークも、
たぶんあの時、わたしは「どうでもいいこと聞いてくるなぁ、うらやましいよ」とか、
そんな風に、ふだんは思わないようなひねくれたことを内心思いながら、
「ははは」って笑っていました。

そして、自分の外側と内側のギャップを冷静に見てるもう1人の自分もいて。

とにかく、心と頭と現実がうまくついて行ってなかったような・・・。
よくわからない感情があったから、あの光景を覚えてるんだと思うんです。

もう、自分であって、自分じゃないような・・・。
・・・病院にいるのが本当に自分であってほしくないような、、、、。




無気力で日本食レストランへ

かーくんはあの時何を考えていたんだろう?
自分の嫁が「脳腫瘍」。。。


わたしに関して言えば、専門医の口から事実を告げられた日は、
抜け殻って感じが一番説明するのにぴったりな言葉かも。

先の手術とか両親への説明とか、、
そんな現実的なこと一切考えられなくて、ただ・・とりあえず、家に帰ろうって感じ。


脳腫瘍の診断の帰り道



でも、やっぱり家事とかやる気が起きなくて、、、
その夜は外食にしまいた。

こんな時やっぱり食べたくなるのが日本食・・・。
わざわざアメリカにまで来て、日本食のレストランに行くのってどうかな?って
こっちに来たての頃は思っていましたが、時が経って求めるのは日本食だなぁ、って思います。

あのレストランで日本食、、、
何を食べたのかはなぜか思い出せないけど、たぶんお寿司だろうなぁ。。。



アメリカの日本食レストランで脳腫瘍の話をする




この土地に引っ越してきて、一番初めに行った日本食レストランだったから、
なんだか、あの最初の時の、あの新しいことを迎えるワクワクした気持ちの自分と
対象的に、たった今無感情でご飯を食べる自分を
さらに、どこかにいるもう一人の自分が遠くから、

「あの頃は何も知らずに滑稽なもんだなぁ・・・」
っと客観的に見比べている気がしました。

変な感覚だったなぁ。。。




最初は無から、だんだん現実

初日はこんな感じ。
でも、だんだん気持ちが整理されて行って、現実がどんどん近づいていって、
おとなしくしていられなくなって、パニックみたいになって、、、、
泣いて泣いて、暴言を吐いて、かーくんを困らせ悲しませました。

そして、かーくん自身もたぶん仕事も大変な時期だっただろうに、
わたしのこともあって、どんどん痩せていきました・・・。

「人は」、、、うーん、「わたしは」と言い換えるべきでしょうかね?
(まぁ、どっちでもいいか。。)
どうなんだろう?みんな、わたしみたいな感じになるのか、
それとももっと別の感情が出てくるのかわかりませんが、
わたしは脳腫瘍があると宣告されて、たぶん一旦は無なりました。

そして、たまにかーくんに車の中で、
「ねぇ?どういうことなの?」っとか言って、困らせました。

絶望とも悲しみとも、恐怖とも違う、ただたんの無

無感情みたいな。。。どこかフワフワ浮いてるような、かんか変んな感じ。
現実なのか?それとも想像の世界なのか??夢??みたいな。

たぶん現実を受け入れられないで戸惑うんだと思います。

前にも書いていますが、症状が出たときから、初めて診察を受けたときも
頭痛のかけらすらない、健康そのものだったから、
いきなり「手術」とか「命に関わる」とか言われてもピンと来るわけない。。。

そこから、だんだん時間をかけて、情報をゆっくりと受け入れ、
混乱しながら、戦うしかないと考えるんじゃないでしょうかね。。

実際に戦ってくれるのはお医者さんだから、
わたしが何をしたってわけじゃないけど、ただただ祈るだけ。

手術の成功と、腫瘍の生検の結果がいいことだけを
ただただ祈るしかできませんでしたけど。

もし当時のわたしの隣に健常者としてのわたしがいたならば、
その本人の気持ちがわかるがゆえに、何も声をかけてあげられません

彼女の話を聞いてあげることしかできないと思います。

何を言っても、未来はなるようにしかならないし、
何を言っても、なんだか嘘っぽく聞こえてしまうから。


とにかく、とにかく、かーくんと病院に一緒に行ってから、
日が落ちるまで、本当に長い1日でした。

あのなんてことない通りすがりの人との会話に対する感情と
あの日本食レストランでの自分の感情を今もこんなにはっきりと覚えてるなんて・・・。


なんの意味もないことなのに、なぜかしっかりと記憶しています。


そのくせ、かーくんと何を話したか、あんまり覚えてない・・・。

なんでなのか、考えてもわかりませんが、
あの時のわたしは、その現実を見ることができず、
あまりに戸惑いすぎて、考えるとあまりに怖すぎるから、
本能的に「自分だと思わない」ようにして
その時に思ったことや感情を記憶から消し去ったのかもしれません・・・。


とにかく、今、あのときのことを振り返りながら、
こうやってブログを書いていられること、
冷静にあのときのことを振り返られることを幸せに思います。

ありがとう、かーくん!
ありがとう、アメリカと日本のお医者さん!!
(セカンドオピニオンは日本の病院)
そして、ありがとう、アメリカ。

そんな気持ちで今は溢れています。



(今回は、単なる長文日記になってしまいましたが、、、
次はもう少しみなさんに役立つことを書き留めておきたいと思います。)



→次はこちらを 

脳腫瘍の診察前に絶対すべき一つのこと/今も捨てられない戦いの証」を見てください。